客家鹹豬肉│客家チャーシュー

難易度:☆ 調理時間:数日
客家の伝統料理『客家鹹豬肉│客家チャーシュー』のレシピを紹介します。香辛料と共に塩漬けにした豚肉を焼いて作る伝統料理です。お弁当に入っているとうれしい料理ですね。

客家が台湾に大量に移入したのは清康煕帝の時代中葉からです。初期の客家の大部分は広東省嘉應州からの移民で、韓江口(現在の汕頭港)から台湾に渡りました。1926年台湾総督府によって行われた漢人祖籍調査によると当時台湾に居住していた客家約58万人(当時の台湾人工のおよそ16%)近くのうち約30万人が嘉應州(鎮平、平遠、長樂、梅縣などの)出身で、潮州(大埔、豐順、惠來、潮陽など)出身者が13万人、惠州(海豐、陸豐、歸善、博羅など)出身者が14万人という結果だったそうです。(今まで当ブログでは潮州出身者が最多と書いていましたが、嘉應州出身者が最多でした。訂正しますが、過去記事は気付いたら訂正します。)

清代に台湾へ大量の移民が行われたとき、王朝は「台湾へ移民する時は本土の土地を放棄すること」、「かならず政府の許可を得ること」、「予備移民(まず調査として台湾に渡航する)時は家族を帯同しないこと」などの政策をとり、また出身地域ごとの渡航禁止令をたびたび出しました。これは当時の台湾が王朝から遠く離れた地であり、少数の軍と官僚によって統治していたため、台湾の人口増加は住民の反乱の恐れがあったことが原因です。また同じ地域の出身者を減らすことで住民同士の団結をある程度阻止していました。

当時の台湾海峡は航海の難所として知られ、まず最初の一歩、台湾への航海時に命を落としたものは数知れません。 そして到着してからも土地の開墾を行いながらも、襲い来る台風、マラリア、原住民の侵略に対処していくことになります。台湾への移民は簡単なものではありませんでした。台湾で航海の安全を祈る媽祖、疫病を静める観音菩薩や保安公、航海や疫病で命を落とした先祖を祀る風習が今なお根強いのはこうした移民の歴史があるからなのです。

それでも。台湾は高温多雨の土地で農作物の栽培に適しており、広大な荒地が広がり官僚の数も少なかったため、いわゆる脱税も容易でした。当時の広東省や福建省で極貧の生活を送るよりは"マシ"、山中で乏しい食料を採取しながら生きるよりも"マシ"だったのです。王朝が移民を認めてから約100年後、18世紀には台湾の物価は中国本土よりも高くなり、住民の生活水準も本土より豪奢になっていたそうです。もちろん実った果実を放置しておく王朝はないので、税も本土よりかなり高く設定されていました。

台湾に移民した漢人の中でも客家は少数後発組であり、山岳部で比較的劣悪な生活を強いられました。このためもともと同族間の結びつきが強い客家ですが、台湾では輪をかけて排他、保守的になってしまいました。数十年前までも閩南出身者と客家の結婚はほとんどなく、社会的な軋轢も少なからずあったそうです(今でもあるといえばあります)。

今回紹介する『客家鹹豬肉│客家チャーシュー』のような客家の伝統料理も万人が気軽に楽しめるようになったのはそれほど昔のことではないのです。


[材料]
豚ばら肉塊 ……… 500g
ニンニク ……… 20g
花椒粉 ……… 10g
八角 ……… 5個
葉ニンニク ……… 適量
 (またはネギ)

[調味料]
塩 ……… 100g
コーリャン酒 ……… 大さじ4
コショウ ……… 10g

[作り方]
1.ニンニクをみじん切りにする。

2.豚ばら肉塊をよく洗って水気を切り、表面にニンニク、コショウ、コーリャン酒を刷り込んで1時間ほど浸けておく。

3.フライパンに花椒粉、八角、塩を入れ、弱火で香りが立つまで焼く。

4.作り方2の豚ばら肉塊を大きめに切り出したラップの上に乗せ、表面に作り方3で焼いた塩、花椒粉、八角をまぶす。そのままラップで包み冷蔵庫で一週間漬けおく。

5.豚ばら肉塊を取り出したら表面の調味料を洗い落とし、オーブンかフライパンで火が通るまで焼き上げる。火が通ったら薄く切りにし、適当な大きさに切った葉ニンニクを添えて完成。

Point!
八角は丸ごと、または粗く砕いたものを使います。また好みの香辛料を適量まぶしてもOKです。


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