三色丼│三色肉そぼろ丼

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
三種類の『肉燥│肉そぼろ』をご飯に乗せた中華風の丼飯『三色丼│三色肉そぼろ丼』のレシピを紹介します。肉そぼろそれぞれ『擔仔麵』や『炸醬麵』のソースとしても使える濃厚な味わいで、今回はそれを贅沢にご飯に乗せた料理です。

日本で「三色丼』というと、肉そぼろ、煎りタマゴ、サヤインゲンなどを盛りつけたカラフルな文字通り「三色」の丼を指しますが、中国では「肉、肉、肉!」の肉そぼろ尽くし!三つの味の肉そぼろで作ります。さすが豚肉消費世界一の国。

「丼」の漢字は《設文解字》によると、元字は「井」でそれに石(﹑)を投げ込んだ時の音を指しているそうです。現代ではお碗(丼)にご飯もおかずもすべて盛りつけた一品料理、特に日本の丼料理の名称として使われ、中国語でもほぼ日本の丼料理を指すときにだけ使われます。

丼飯は和食の中でも結構な歴史があり、室町時代に『芳飯』と呼ばれた茶漬けのような料理が最も初期の丼飯といわれています。今のような形の丼飯は江戸時代末期に発明された『深川丼』や十九世紀初期に開発された『うな丼』などがあります。丼飯はもともと忙しい職人らのために急いで食べられる料理として始まったものだそうで、江戸時代以前にも日本各地でその類似料理(いわゆる『ぶっかけ』のようなもの)が見られます。ちなみに『親子丼』は1891年、『カツ丼』は1913年に生まれたそうです。

「丼」の字は中国や台湾でも和食の代名詞のように使われます。見た目は明らかに丼なのに和食でないことを強調するため、中国ではあえて『蓋飯』の字を使ったりします。また韓国では日本語由来の『돈부리(ドンブリ)』という単語があったのですが、日本語由来の単語を忌避して『덮밥(かけ飯)』 という固有語で言い換えたりします。海外で食べる丼料理は例え和食店で食べても大幅なアレンジが加えられていることがあったりして、文化の差を感じることができます(もちろん日本そのままの丼を出す店もあります)。料理が得意な方は海外に出かけたらその土地にあわせた丼を作り現地の人に振舞ってあげると喜ばれそうですね。



紹蝦球│浙江風エビの素揚げ

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難易度:☆☆ 調理時間:30分以内
浙江省は紹興酒で有名な紹興市の名物料理『紹蝦球│浙江風エビの素揚げ』のレシピを紹介します。素揚げとはいえかなり技巧をこらしてあるので、シンプルな見た目とは裏腹に素材のうまみを楽しめます。

もともとこの『紹蝦球』は100年ほど前に紹興市にあった「雅堂酒店」というホテルで作られました。開発された当時は『蝦肉打蛋』という名前で呼ばれており、宴席料理として非常に有名だったそうです。元々はエビの肉に卵を加工した糸状の衣を纏わせて揚げたもので、テンメンジャンを添えて食べる料理だったそうですが、その後数名の料理人の改良を経て現在のような形になりました。当初のものとは大きく形が変わっています。

紹興酒で有名な紹興市は中国浙江省にある都市です。紹興とは宋代の紹興元年(1131年)に越州という府が置かれたのが地名の由来です。それ以前にも越国(中国南方の異民族)文化発祥の地として長い歴史があり、6000年以上前から人類が居住していた遺跡も残っているそうです。《阿Q正伝》などの作者魯迅の出身地としても有名です。

紹興酒があまりにも有名ですが、紡績業が非常に盛んな都市で、現在世界中で交易が行われる半分以上の繊維が浙江省紹興市から輸出されたものだそうです。というより紹興市の紡績業によって浙江省の大半のGDPを稼ぎ出しているといった方がいいでしょうか。

繊維、紡績に興味がある方はぜひ浙江省紹興市にある「中国軽紡城」という産業センターを訪れてみましょう。あの巨大な中国において最初に「中国」の名を冠した専門市場です。その規模はきっとわれわれの想像以上でしょうね。筆者がいつか訪れてみたい場所の一つです。

發財好市│発財好市、干しガキと髪菜炒め

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難易度: 調理時間:3時間以内
広東省のおめでたい宴席料理『發財好市│発財好市、干しガキと髪菜炒め』のレシピを紹介します。干しガキ(蠔豉)と髪菜という日本ではなかなか手に入らない食材を使うので、他のカキや海藻を代用して作ってください。他の材料で代用して作る場合は難易度☆二つくらいでしょうか。

『發財好市』という非常にめでたい料理名は、使用される材料の名称からきています。干しガキは中国語で「蠔豉│Haochi (広東語でホウシー)」といいますが、これが好市(ハオシー)と発音が近いため、また海藻の一種である「髪菜│Facai (広東語でファッツェー)」が発財と発音が近いためそれぞれめでたい食材として使われています。

どちらも日本ではあまり出回らない食材なので、日本で作るなら干しガキはその他の貝類を干したものを、髪菜はヒジキなどで代用しましょう。干しガキなら中華食材やで手に入るかもしれません。

髪菜は海藻を乾燥させたものですが、中国では採取も販売も禁止されているため非常に高級です。なぜ禁止されているかというと、髪菜を採取する時に熊手のような器具を使うのですが、これが生息地の地表を荒してしまい表土流出や砂塵の原因となってしまうため。"あの"中国が環境破壊を原因に採集を禁止するくらいなので、相当ひどい環境破壊が起きてしまったのでしょう。

…そんなものがなぜ今でも売られているかというと…そう、偽物です(笑)。香港のホテル・レストランで出される『發財好市』はほぼ間違いなく偽物の髪菜を使ったものだそうです。似たような海藻で代用するのならまだ分かりますが、ひどいものになるとトウモロコシのヒゲを染色したものを使っていたりするそうです…。栽培や養殖の研究も行われているそうですが、早く成功して本物の髪菜がたくさん食べられるようになるといいですね。



吉利玉帶│ホタテ貝柱フライ

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
広東料理から『吉利玉帶│ホタテ貝柱フライ』のレシピを紹介します。新鮮なホタテ貝柱に衣をつけて揚げただけのシンプルな料理で、貝のうま味を余すところなく楽しめます。

玉帯(子)とは元々は貴族が身に付けていた宝石をちりばめたベルトのことですが、転じてエンガワをもつ新鮮なホタテガイを示すようになりました。

貝類は一般にタコやイカなども含む軟体動物の中で固い殻を持つものを総称して言います。動物学上は軟体動物の下に分類されるすべての種が含まれるそうなので貝殻を二次的に失ったイカやタコ、ウミウシ、ナメクジなども貝類(の仲間)に分類されるそうです。

ホタテガイは学名を Mizuhopecten yessoensis 、台湾では蝦夷海扇蛤、中国では蝦夷盤扇貝といいます。中国では学名が Patinopecten yessoensis となっていることがあるのですが、どうやらシノニムのようです。

台湾では漁獲されない種ですが、中国北部で少量が獲れるそうです。台湾には17 屬 67 種のイタヤガイ科の貝が生息していることが確認されているようですが、ホタテガイのような大型の種はいないようです。

ホタテガイなどの属するイタヤガイ科の貝類の貝柱は中華料理には欠かせない食材の一つです。中国海岸沿いのほとんどの中華料理で古来より高級食材として使われてきました。特に広東料理ではスープの出汁取りに多用されるため需要が高く、日本北海道産の貝柱は超高級品として扱われます。台湾でも貝柱の乾物、いわゆる干貝は日本産のものが最高級品で大きなものは1kg1万円以上で取引されます。台湾の友人を訪ねる時は日本産の貝柱はいいお土産として喜ばれるので覚えておきましょう。

今回の料理では新鮮な貝柱を使います。うま味成分の構成は豊富なグルタミン酸に少量のイノシン酸(他にも微量のコハク酸など)が混ざった複合型です。ホタテのうまみをそのまま閉じ込めた『吉利玉帶│ホタテ貝柱フライ』をお楽しみ下さい。




東江豆腐煲│広東風豆腐土鍋煮込み

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
広東料理の名菜『東江豆腐煲│広東風豆腐土鍋煮込み』のレシピを紹介します。豆腐と豚ひき肉をメインに、とろみのあるスープと土鍋で煮込んだ料理です。とても豪華でおいしいのでぜひ再現に挑戦してみましょう。

料理名にある東江とは広東省を流れる河川の名前です。上中流に巨大なダムがあり、現在香港への飲料水のおよそ70-80%がこの東江から引かれているといいます。残りの2割の水は香港は自前でまかなっているようです。

東江からの導水が完了するまでの1960年まで、香港はすべての飲料水を自前でまかなっていました。もちろん足りるはずもなく60年代の香港は慢性的で深刻な飲料水不足に陥っていました。そのためあの小さな香港には規模は小さいですが多くのダム、貯水池があり、昔からの香港住民は屋上に雨水をためる樽を多数準備しておく習慣があるのだとか。小さな島同士を連結して、海上に巨大な淡水貯水庫(船灣淡水湖や西貢糧船灣洲)を作ったり、ダムの数を増やしたりといろいろな工夫のあとが見られます。

それでも人口増加による水需要増大にダムの水量が追いつかなくなってしまったため、1960年に東江から水を引く契約をし、運河を建築して淡水をひきこむことになりました。現在に至るまで毎年莫大な金額のお金を飲料水代金として支払っているそうですが、上流の環境破壊による水量の減少に悩まされているそうです。

香港の水需要は現在においてもかなり逼迫しているようで、トイレには海水由来の塩水を使うなど数々の工夫がなされています。上水道のシステムが飲料水用とトイレの塩水用で二系統あるというのですから水不足は深刻なようです。このため香港では海水の淡水化や雨水を効率的に収集する方法、植物からの飲料水採取技術などの先端研究が進んでいます。

香港を訪れることがあったら、どうやって水を調達しているかに注目してみると面白そうですね。

ちなみに筆者は本来明日から週末まで香港へ出張の予定でしたが、 急遽キャンセルになってしまい悲しんでおります(笑)。しばらく筆者のわがまま広東料理にお付き合いください。


燴海參│ナマコあんかけスープ

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
近くのスーパーで海瓜子売ってませんでした。明日にでも海鮮市場行ってきます。

またまた福建料理から。『燴海參│ナマコあんかけスープ』のレシピを紹介します。その名の通り、ナマコを使ったとろみの付いたスープです。台湾でも食べられます。

ナマコを使った中華料理は広東省や福建省、台湾など中国南部の海岸沿い地域に多く有ります。日本でも古来から食用にされてきた歴史があり、日本産のナマコは今でも中国に盛んに輸出されています。

日本の市場に流通するものはほとんどがマナマコという種だそうで、しかも近年漁獲されるほとんどが乾燥ナマコに加工されて中国に輸出されているそうです。ナマコは漁獲も簡単なので漁師の言い副収入になっているといいますが、乱獲による資源減少も懸念されています。

筆者の得意先である漢方問屋ではたくさんの乾燥ナマコが量り売りされています。滋養強壮の薬物・食材として人気が有り高級品です。半養殖は難しくないようなですが、まだまだ普及していないそうなので台湾のどこかの海岸線で実験してみても良さそうですね。



八閩肉燕│福建風肉団子スープ

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難易度: 調理時間:30分以内
福建の伝統料理『八閩肉燕│福建風肉団子スープ』のレシピを紹介します。ワンタンの皮(実際は『肉燕皮』)を肉団子にまぶしてから、中華スープで煮込んだスープ料理です。ごろりとした大き目の肉団子の表面にはつるつるしたワンタン皮がまぶされていて、独特の食感となっています。日本で再現するならワンタン皮で作ると簡単です。

「八閩」とは福建省の古名で、宋代に福州、建州、泉州、漳州、汀州、南剣州の六州と邵武軍、興化軍の二軍(郡じゃなく軍です)がおかれていたことに由来しています。簡単にこれら八地域を現在のものと比較しながらまとめて見ます。

まずは福州です。現在の省都である福州市とほぼ同じ地域で、唐代に閩州と呼ばれていた地域が北に福山という山があるということで福州と改名されました。宋代に隆盛を極めた都市で、この時期海外に多くの華僑を送り出し、福建料理を広めました。現在も300万人を超える福州籍の華僑が海外で暮らしているとされます。また国共内戦後は台湾に80万人以上の福州住民が移動して来ました。

続いて建州。現在の福建省北部建瓯市周辺を指します。鄭成功が明復興を掲げて台湾に渡ったとき、この地域から多くの兵を連れて台湾に渡ったそうです。

泉州。現在の泉州市とほぼ同じ地域で、台湾とも非常に関連の深い地域です。宋から元代にかけてはアジア最大の港湾都市でした。明末から清代にかけて台湾に移民した漢人らの大部分はここ泉州を祖籍にもちます。東南アジアへの移民も盛んで、現在620万人の泉州籍華僑が東南アジアを中心に分布しているとされます。

漳州。福建省の南端、現在の漳州市とほぼ同じ地域で、こちらも台湾に多くの移民を送り出した地域です。台湾に伝わる「布袋戲」などの伝統文化の多くはこの地域からもたらされました。

汀州。漳州市の北西にある現在の長汀縣とほぼ同じ地域です。古くから多くの客家が居住し、数多くの伝統文化が残されています。福建省では唯一閩南語ではなく客家語が優勢な地域です。国共内戦時、内陸の共産党軍が閩南地域にいたるために必ず通らなければならなかった場所として戦略上非常に重要視され、共産革命にまつわる遺跡も多く残されています。

南剣州。現在の福建省南平市延平区という非常に狭い地域辺りを指します。朱熹の生誕地としても有名です。また南平市延平区は福建省にあってなぜか唯一ほとんどの住民が北部の中国語(の方言)を話すという特殊な地域で、なぜこのような現象が起きているのか今でも研究が続けられています。一説によると宋代に多くの皇族がこの地域に流入し、住民がその真似をしたからだとも。中国言語学上の大きな謎の一つです。

邵武軍。現在の福建省邵武市から南平市、三明市の一部を統治していた古代の軍です。福建省より北部の軍人が駐留していた地域のため、閩南語などの福建語方言ではなく贛語(江西、湖北、湖南地域の方言)系の邵武語という特殊な方言を使います。

興化軍。現在の福建省莆田市、現在の福州市と泉州市に挟まれた地域を統治していた古代の軍です。狭い地域ですが、この地域からも海外に多くの移民を送り出しており、特に香港、マカオなどにこの地域出身の華僑が多く住んでいます。また唐代以前からの数多くの伝統芸能を保存している地域として知られます。

複雑な文化や言語がモザイク状に敷き詰められた福建省、どの地域の料理も特色があっておいしいですよ!


八寶雞腿│鶏もも肉のもち米詰めフライ

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難易度: 調理時間:30分以内
福建省の伝統料理、しかし料理名を見るだけでは何がなんだか分からない『八寶雞腿│鶏もも肉のもち米詰めフライ』のレシピを紹介します。こんな調理法方があったのか!と驚くことうけあいの珍しい料理です。材料は日本で簡単に手に入るので、調理方法をよく読んでぜひ挑戦してみましょう。

料理名にも使われている宝という字の旧字体「寶」の成り立ちを見てみましょう。家屋をあらわす「ウ」の下に、貴重なものを示す「王」、貨幣として使われていた「貝」、そして音を表す「缶(もともとはフウ、フの音)」の字があります。また音は「封、包、保」などにも通じ、何かを包んでいることをあらわしています。そういえば現在の「缶(カン)」もそのもの包まれたものの意味ですね。古くは貴重品や貨幣をしまっておく建物の意味でしたが、次第に宝物、貴重品そのものを表す字となりました。

「宝」はよく知られた異体字ですが、「珤」やこれにウ冠がついたもの、ウ+王+缶が縦に並んだもの、「王+呆」、寶に雨冠がついたものなど標準のフォントでは表せない10を超える異体字があります。他の異体字を知りたい方はこちらをどうぞ。(リンク:http://chardb.iis.sinica.edu.tw/meancompare/5BF6/3EC4)

宝とは一言で言えば「ある個人や集団にとってその瞬間に貴重であるもの」のことです。 貴重であるかどうかは今現在はありふれたものでも、長い年月を経た後にあまり変わらない形で存在すればそれは宝となりえます。遺跡や古文書は歴史的に貴重ですが、宝石などは存在そのものが貴重です。個人にとっての唯一無二の思い出や存在も宝となりえます。

台湾にも多くの国宝が存在し、そのほとんどが故宮博物館で見ることが可能です。故宮博物館の宝物の中には中華圏、アジア、いや人類史上非常に貴重な「地球宝」と呼ぶべきものが多数あります。未経験な方は絶対に、経験済みの方は定期的に故宮博物館を訪れましょう。今まで見落としていたエリアに実はすごいお宝が眠っていたりするのです。

写真は太ももの肉を使って炒飯を包み、
蒸して火を通してから輪切りにしたもの。
いろいろな作り方があります。


肉醬│肉ソース

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
久しぶりに台湾料理を!『肉醬│肉ソース』のレシピです。台湾各地の『滷肉飯』のお店にある陶器の鍋などに入っているあのソースを日本で再現してしまいましょう!Pointに色々なアレンジを載せています。甘い濃い目のソースがご飯にピッタリです。

豚肉はイスラム圏以外の世界中で食肉として消費されています。この豚肉の年間個人消費量が最も多いのは中国、そして第二位が台湾です(そして三位はポーランド)。ご存知でしたか?中国や台湾に住むと日本にいるときよりも格段に豚肉の消費量が多くなります。日本で豚肉が一般家庭に普及したのは明治維新後ですが、中国では数千年の歴史があります。豚肉料理の種類や調理法の豊富さはさすがに中華料理には敵いません。

以前も紹介しましたが、中国でただ「肉」といえば豚肉を指します。豚肉以外の肉類は牛肉、鶏肉、人肉(!)など肉の前に肉の種類を現す漢字が必要ですが、豚肉だけはただ「肉」で通用してしまうのです。(もちろん特に豚肉であることを強調する場合は「豬肉」と書きます。)これを見ても中華料理と豚肉のつながりが非常に強いことが分かりますね。

さて、近年台湾"でも"食肉の産地偽装が相次ぎ、2014年から小売りされる豚肉(など)は産地を表示することが義務付けられました。しかし市場に行けば分かりますが、2015年現在、必ずしも産地表示の義務が守られているとは言えない状況です。最高で罰金15万元と小売業者にとっては罰則が重過ぎるのも問題なのかも知れません。抜き打ち検査もあまり行われていないようなので、政府の肝いりで施工された法律が有名無実化しています。

そう考えると台湾の豚肉消費量は日本より多いとはいえ、日本の豚肉の方が安心して食べられそうです。

ちなみにパスタなどに使ういわゆる『ミートソース』もこの料理と同じく『肉醬』という名で呼ばれます。覚えておきましょう。



薑汁煎旗魚│カジキのしょうが焼き

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
カジキを使ったショウガ焼き、どっちかといえばステーキに近い『薑汁煎旗魚│カジキのしょうが焼き』のレシピを紹介します。ソースに漬けおいたカジキをフライパンで焼くだけの簡単料理です。

カジキはカジキマグロと呼ばれることもありますが、これはマグロの仲間と食感が似ていることから漁師らにつけられた俗称で、正式名称はカジキ(亜目)です。筆者の実家辺り(九州)ではカジキマグロと呼んでいました。

上位分類はスズキ目で、カジキ亜目にはメカジキ科 Xiphiidae 、マカジキ科 Istiophoridae の二科があります。世界中で10-12種が知られており、日本の近海ではその半数の6種が生息しており、スポーツフィッシングの大会が近海で開かれます。よく芸能人がテレビの釣り番組で挑戦してますね。

中国語では旗魚と呼ばれ、台湾ではフライや煮込み料理、粥の具などに使われます。台湾ではマカジキやクロカジキが東部海岸沖で漁獲され、 そのまま市場に並びます。

カジキは原稿のすべての水生生物のうち最速の生物としても知られます。特にマカジキ科マカジキ属のバショウカジキはすべてのカジキの中で最速、その速度は時速100km/hを軽く超えると言います。強力な抵抗のある水中でこれだけの速度を出すため、カジキの体は他の魚類に見られない数多くの特徴が備えられており、世界中の研究者を魅了しています。古くはこの高速遊泳をするカジキをモリ打ちでしとめていたというからすごいですね!

マグロと同じように有機水銀を体内に蓄積する性質があり、アメリカFDAなどから妊婦と子供は一度に大量に食べないように勧告が出されています。まぁ、台湾ではほとんどお構いなしなので、あまり気に病む必要はないかもしれません。

それではレシピです!


大救駕│お助けパン

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
料理名を見ても意味が分からないかもしれませんが、本当にこういう名前の料理です。安徽省の名物『大救駕│お助けパン』のレシピを紹介します。安徽省と雲南省でまったく同じ名前の別々の料理があるのですが、今回は安徽省版のレシピです。パイ生地状のパンに餡を包んで揚げて作ります。

安徽省の『大救駕』は特に雲南省の同名料理と区別して呼ぶ場合は『(安徽)油炸大救駕』と呼びます。雲南省のものは『(雲南)騰衝大救駕』です。どちらも皇帝の命を救ったことから命名された料理で、数多くの伝説があります。

今回は安徽省バージョンなので、安徽省の『大救駕』にまつわる伝説を紹介しましょう。

『大救駕』は安徽省壽縣一帯に伝わる伝統料理です。伝説によると956年、周の世宗が淮南地方を攻めた時に大將である趙匡胤は9ヶ月かかけてやっとのことで城を一つ落としました。攻城には成功したのですが、趙匡胤はあまりの疲労のため落城後すぐに病気にかかってしまいました。何を食べても吐き戻してしまい、まったく栄養が取れない状態になってしまったと言います。

この時軍の料理人は彼の体力を回復させるため、小麦粉と砂糖、干しミカンなどを使って簡単な揚げ菓子を作りました。料理人が趙匡胤の元に料理を持ち込むと、その香ばしい香りに臥せっていた趙匡胤は体を起こし、すぐに一口食べたといいます。咀嚼するたびに口の中に広がる柑橘類の酸味と砂糖の甘味、趙匡胤は出来上がった菓子をゆっくりと平らげ、しばらく休むと体はすっかり回復していました。

趙匡胤は料理人にいたく感謝し、多くの褒美を取らせたといいます。この時に作られたお菓子は、大将が病で動けなかった軍を救ったということで『大救駕』と名付けられ、今に伝わり多くの人に愛されることとなりました。安徽省だけでなく淮河河口一帯ならどこでも食べることができますが、安徽省のものが特に有名です。

たまにはこういう中華点心を自作してみるのも楽しそうですね。

ちなみにかなり珍しいですが「大救駕」という同名の生薬もあります。日本の園芸店などでもおなじみのアカバナ科ヤナギランという植物の根茎がそうです。日本ではほとんど薬用に使いませんが、打撲や不眠症に使ったりします。日本の北部地方には自生していますし園芸店でも手に入るので、園芸ファンは手に入れて鑑賞するのもよいでしょう(笑)。

もちろん料理にも挑戦してみてください。それではレシピです!一軍を救った菓子『大救駕│お助けパン』をどうぞ!



東坡餅│東坡パン

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
湖北省黄州の名物料理『東坡餅│東坡パン』のレシピを紹介します。練った小麦粉をごま油で揚げて作るサックリとしたパイ風の料理です。

『東坡餅』は名前からも分かるように北宋の大文人蘇軾(号が蘇東坡)と関係のある料理です。蘇軾に関しては以前紹介しているのでこちらの記事を参考にしてください。

若い頃あちこち遊びまわっていた蘇軾は料理や茶にも造詣が深く、『東坡肉』をはじめとする様々な料理を開発しました。今回紹介する『東坡餅』が黄州滞在時に茶菓子として開発した料理の一つです。

黄州に左遷された蘇軾は歩いて数百歩という近くにあった安国寺の和尚參寥と茶飲み友達になりました。蘇軾はこの寺を相当気に入ったのか、ほとんど毎日のように入りびたり、数多くの文学作品を著すことになります。

ある日、茶菓子を買いに出かけた蘇軾は黄州の街中にあった「何氏園」という菓子屋でそれまで見たことのない点心を購入します。寺に戻って參寥に「これって何ていうお菓子?」と訪ねると、參寥は「無名!」と答えました。更に蘇軾は「為甚酥(何でこんなにサクサクなの?)」と聞いたのですが、參寥は別の地方から来た蘇軾の言葉を聞き取れなかったのでしょうか、蘇軾の地元ではこのお菓子を『為甚酥』と呼ぶのだと勘違いして、「そう、それ『為甚酥』って言うんだ。」と答えてしまいます。それ以降名前のなかったこの料理はひょんな勘違いから『為甚酥』と名付けられて売られることになるのです。

数日後酒のつまみにこの『為甚酥』を買いに行かせた蘇軾はこんな詩を詠んでいます。

野飲花間百物無 腰間唯繫一葫蘆
已傾潘子錯著水 更覓君家為甚酥

庭の花に囲まれて適当に飲んでいる以外何もなく、腰には一本のダイコンを挿している。
水を飲む代わりにダイコンをかじっている。後は買いに行かせた為甚酥が届くのを待つだけだ。
(のような意味です)

相当のんびりと過ごしていたようですね。

ある日、東国寺の參寥は蘇軾のために自作の『為甚酥』を作ってまで彼を待っていたのですが、たまたまその日は蘇軾が訪ねてこず、一日放置された自作の『為甚酥』はバラバラになり味も悪くなってしまいました。次の日訪ねて来た蘇軾はバラバラになった『為甚酥』を見て"何で手先の器用なおまえが、もうちょっと日持ちする『為甚酥』を作れないんだ!"と憤慨します。參寥も怒って"おまえが来るのが遅すぎるんだ!"と言い争いになり、その日二人は丸一日中『為甚酥』の作り方の議論をしたのだとか。そして二人はそのまま寺に泊り込みで『為甚酥』の作り方を改良することにし、数回の試作をへてついに改良版『為甚酥』が完成しました。

まず生地を棒状に伸ばしてから巻いて円形にすること、こうすることで時間が経ってもバラバラになりません。そしてごま油を使ってあげることできつね色で美しい見た目を保持できること、そして完成した後に砂糖をまぶすことで味も香りも数日保存できることなど、数々の改良が行われました。彼らの改良した新しい『為甚酥』は作者への尊敬を込めて『東坡餅』と呼ばれることになったのです。

その後『東坡餅』は、黄州の名物となり、来客を迎えるときにはなくてはならない料理となりました。当地を訪れることがあればぜひ味わってみてください。スーパーで袋入りのものが買えるはずです。日本で食べたい方は自作しましょう!







油鍋盔│西安パン

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難易度:☆ 調理時間:2時間
陕西省西安の伝統料理『油鍋盔│西安パン』のレシピを紹介します。小麦粉と五香粉を混ぜて発酵させて焼くパン料理で、非常に長い歴史を持つ料理です。そのまま食べてもいいですが、中に野菜や肉類、各種ソースを挟んで食べると美味です。

類似の料理は中国各地に点在しますが西域から伝わった『油鍋盔』が最も古いとも言われています。ご存知『月餅』はこの料理が元になっているのだとか。特に西安で盛んに食べられるので『西安油鍋盔』とも呼ばれます。この料理は「陕西八大怪」の一つ「锅盔像锅盖(鍋蓋サイズの锅盔)」にもなっており、店によっては直径1mほどの『油鍋盔』を注文することができます。

長安、京兆などと呼ばれた西安は古来様々な中国の王朝の都として栄えたのは我々日本人もよく知るところです。先史時代まで含めると100万年の人類居住の歴史があるといわれ、7000年(!)前には城郭が築かれていたことが分かっています。人類最古の都市のひとつです。また古代はシルクロードの基点として西洋から多くの文物が流入し、各時代で文化的にも世界最高の水準にありました。今の北京や南京が文化的に世界最高水準にあるかというとかなり疑問ですが、古代の西安は確実に世界最高の都市だったのです。往時は相当賑やかだったことでしょうね。

西安とは西の都の意味で、これまた多くの王朝の都が置かれた洛陽(湖北省)からの方角を示しています。北の都が北京、南の都が南京です。中国にも東京があり、これは開封の別名となっています。

古過ぎていつごろから食べられているかもはっきりしない料理『油鍋盔』を日本でも作ってみましょう。そのまま食べるとかなりの水分を持っていかれます(笑)。



棋子燒餅│河北風おやき

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
河北省の名物料理『棋子燒餅│河北風おやき』のレシピを紹介します。シンプルな材料だけでつくる一口サイズの料理で、お弁当のおかずにも良さそうです。皮はパイ生地風でサクサク、中に豚肉の餡が入っています。

この料理は河北省唐山の名物小吃です。唐山は港湾部の大爆発で注目を集めている天津の真北にある地方都市です。古くから炭鉱の町として栄えましたが、1976年の唐山大地震で壊滅的被害を受けました。もちろんすでに復興を終えており、多くの日本企業の工場が立ち並ぶ港湾都市として発展しています。

河北省は北京をぐるりと取り囲むようにある省なのですが、まずは地図を見てみましょう。下にごらんのように、北京と天津に囲まれた部分が飛び地になっています。(廊坊市の三河市、香河県、大廠回族自治県。)



台湾にもこういう飛び地がないものか探して見たところ…ありました!なかなか知る機会もないと思いますので一挙に公開したいと思います。(iframe タグでグーグルマップを表示していますが、表示されない場合は地名をグーグルマップで検索してみてください。)

1.台東縣金峰鄉

海岸線沿いに二箇所飛び地があります。北の方が台東縣金峰鄉正興村、南の方が台東縣金峰鄉賓茂村という場所です。台湾で飛び地を観光のウリ(?)にしている唯一の自治体だそうです。

2.高雄市桃源區

北西に高雄市桃源區建山里という飛び地があります。

3.屏東縣瑪家鄉

北西に屏東縣瑪家鄉三和村という飛び地があります。実はこの周辺は飛び地だらけですが、細かすぎてグーグルマップでは表現しきれないようです(笑)。

4.台中市南屯區春社里の中の春安里

境界に囲まれているのが春社里で真ん中に抜けている区域が春安里です。春安里に眷村(国民党の退役軍人村)があるので、それ関連の飛び地でしょう。


他にも郷や鎮レベルではもっと細かい飛び地が何個かあるのですが、グーグルマップでは表現しきれないようで(笑)、今回はこのくらいにしておきます。ちなみに中国語でも飛び地は「飛地」と書きます。

なお台湾のこういった飛び地はほとんどが原住民の部族の居住地に由来しています。インタビューして理由を尋ねたりすれば面白そうですけど、そんな物好きもあまりいないでしょうね…。

日本だと結構な数の二重飛び地があったりして地図を見るとにやりとしてしまうのですが、台湾ではさすがにそういうのはないようです。

地図を眺めてみるといろいろな発見があるものです。台湾旅行で楽しんだら、一冊道路地図を買って持ち帰るのをお勧めします。行ったことがある場所と行きたい場所をマークしておくと、次の旅行の計画も立てやすいですよ。筆者はもっぱらGoogleマップを利用します。

それではレシピです!



胡辣湯│河南風胡椒スープ

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
河南地域の名物軽食『胡辣湯│河南風胡椒スープ』のレシピを紹介します。現地では朝ご飯のメニューとして、そして酔い覚ましとしてとても有名な料理です。胡椒と香辛料を利かせたとろみのあるスープで肉類を煮込んだスープ料理です。特に逍遥地方の『逍遥胡辣湯』は全国的にも有名な料理です。

『胡辣湯』の歴史は非常に古く、いくつかの資料によると周代にはその原型となる料理が河南地方で食べられていたそうです。ただ周代は胡椒がまだ中国に伝わっていなかったため、胡椒を使った現在のような『胡辣湯』はそれよりもずっと後世、宋代や明代に作られたのではないかといわれています。

有力な説としては唐代に胡椒が伝わってから作られた『酸辣湯』と『肉粥』が、宋代になぜか混ぜ合わせて食べられるようになったというもので、最初期は長江以北の少数民族によって食べられていたといわれています。
 
そして元代、モンゴル人により羊肉食が伝わると、スープに羊肉が加えられるようになります。ほぼ現在のものと変わらない『胡辣湯│河南風胡椒スープ』がここに完成しました。当時は『蔥油餅』などと共に定番の朝食として河南人に食べられていたそうです。また当地の官僚らには風邪薬としても飲まれていたという伝説が残っています。
 
なお料理名の「胡」はもちろん胡椒が使われていることをあらわしているのですが、スープにとろみが付いているため胡と発音が同じ「糊」 の意味もかけられています。清代には宮廷料理としても取り入れられ、「胡(異民族の意味)」の字を嫌った満族により『宮廷禦錦湯』と名前を変えて食されていたこともあります。
 
以前紹介した同名料理のレシピはこちら
 
 
 

新疆饢包肉│新疆風ピザ

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難易度: 調理時間:2時間
新疆はウイグル族の宴席料理『新疆饢包肉│新疆風ピザ』のレシピを紹介します。円形の『ナン』の上に羊肉のシチューを乗せて食べる料理です。今回のレシピでは羊肉のシチュー作りがメインですが、新疆風の『ナン』も使うのでこちらも作れるようにしておきましょう。

新疆風の『ナン』の作り方はこちら

ウイグルとは中央アジアから中国新疆ウイグル自治区に住むテュルク系民族の末裔を指す単語です。定義によってかなりの幅はありますが現在1千万人ほどがいるといわれています。古代から現在まで様々な変遷を経ており中央アジア各国全域に分布しているため一言で言い表すのはとても難しいのですが、ウイグル語を話すこととムスリムであることをほぼ共通の特徴としています。

古代の大国はこの辺りに住む住人を一括りにして突厥(中国)、カルルク(ペルシャ)などと呼んでいましたが、もともとこの地域に住んでいた人々は独自の民族名を持っていませんでした。もともとが遊牧民族で、土地に対する執着が希薄であったため、一つの土地に住む民族という概念が生まれにくかったのが原因だといわれています。(突厥という単語も定義によってかなりの幅があるのですが、ここでは中央アジアに住んでいる遊牧民族の総称のようなものだと考えてください。)その内またまとめる機会もあるかと思いますが、とにかく「ウイグルはもともと独自の文化と歴史を持った漢族とは別の民族である」ということは覚えておきましょう。筆者自身もまだ勉強中ですので…今回はこの辺で(笑)。
 
今回紹介する料理は中国のウイグル族独自の料理というわけではなく、上記のウイグルの居住する広範囲な地域で類似の料理が食べられます。中国語では単に『饢包肉』とも。まぁ今回の「新疆」風だけあって『新疆饢包肉│新疆風ピザ』のレシピはラー油を使ったりと中国風のアレンジがされていますが。ちなみに食べ方は『ナン』で羊肉を包み、ソースをすくって手で食べます。箸やフォークは外道です。ちょっと手間はかかりますが、インドカレーにも通じる面白い料理です。

台湾ではイスラム料理店で食べられます。台湾長期在住者はたまには趣向を代えて、各地に隠れ家のように存在するイスラム料理店を訪ねてみるのも楽しいですよ!


海棠冬菇│広東風シイタケのエビ乗せ蒸し

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難易度: 調理時間:30分以内
本格広東料理を自宅で再現してみましょう。『海棠冬菇│広東風シイタケのエビ乗せ蒸し』のレシピです。スーパーで手に入る材料だけで広東料理の名菜を再現できます。ひと手間かかりますので、調理方法をよく読んで挑戦してみましょう。

さて今回は…広東料理の歴史をざーーーっと簡単に解説してみます。

広東料理はもちろん中国南部の広東省を中心とした地域の料理です。今でこそ漢族が多数居住する地域ですが、中華が今のように統一される前は「越族」と呼ばれる漢族とは別の民族が居住していました。そう!広東料理は彼ら越族の伝統料理がベースになっているのです。

始皇帝の時代は「北に胡、南に越」という異民族がいたことが記録されています。越族とひとまとめにされていますが、越族は別名を百越ともいい今の浙江省からベトナムあたりにかけての広範囲に散らばっていた多くの氏族や部族を総称した名称でした。

越族は今も生き残っており、その一部は東南アジアからインドまでのかなりの広範囲に分布しています。大きく分けると中国少数民族としても割と有名な、涇族、苗族、壯族の三つの氏族に分けることができるそうです。彼らはベトナム最古の王朝や(今はまだ伝説とされる)夏王朝の生き残りとも言われています。ちなみに純血(?)のタイ人も越族の一氏族といわれます。

その後中華の支配圏がほぼ今の形になってくると、王朝の支配が及ぶ地域を閩越(今の福建省辺り)、それより南の支配が及ばない地域を南越と呼び分けるようになりました。

ベトナムのことを中国語で越南と呼ぶのはこれが由来となっています。また広東省は略語で「粵」と書くのですが(広東料理は粵菜)、この「粵」は中国語で「越」と同じ発音で、これらの記号ももともと同じ越族であったことをあらわしています。
 
広東省もベトナムももともとはどこで国境線を引かれたかくらいの違いしかないのですが、長い時間をそれぞれの国で過ごすうちに越人としてのアイデンティティーはきれいさっぱり失われてしまったようです。

香港人がベトナム料理を食べる(もしくはその逆)と、古のDNAが騒ぎ出すかもしれませんね。


火爆燎肉│山東風揚げ豚

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難易度:☆(火傷注意) 調理時間:30分以内
山東の濟南菜から『火爆燎肉│山東風揚げ豚』のレシピを紹介します。「火爆」とは強く熱した油で一瞬にして火を通す濟南菜の手法です。材料をいれた瞬間に鍋から火が立ち上るので、家庭で作る場合は火傷と火災にくれぐれも注意です。

※まず調理方法をよく読んで下さい。普通の家庭の調理設備では火災報知機が作動する恐れがあります。

台北市中正区には濟南路と呼ばれる道があります。青島東路と徐州路に挟まれて、西は中山北路、東は建国北路まで、中山南路から杭州南路までが一段、新生南路までが二段、そこから先が三段に分かれています。台湾大学医学部の裏手にあり、中華民国外交部領事事務所や教育部などがあります。

今でこそ公館のメインキャンパスの新しい建物に移転してしまいましたが、つい昨年まで台湾大学の社会学部と経済学部の授業は濟南路ににあった「台湾大学社会科学院(住所は徐州路ですが)」で行われていました。日本統治時代の1919年に設立された(旧)台湾総督府高等商業学校を改修した建物を使っており、赤レンガ造りでレトロな雰囲気溢れるキャンパスでした。設備的には堂考えても公館のキャンパスに劣っていましたが、たくさんの思い出があります。院生の研究室はかなりボロボロでしたけど(笑)。

台北市内では珍しく自由に出入りできる日本統治時代の建物ということで、コスプレや結婚の記念撮影を行っている人もいたり、市内にあって緑も多く喧騒から隔絶されているので近所の人が弁当を食べに来たりと都会のオアシスになっている場所でした。たぶん…今でも日中は開放されているはずですので、日本時代の建築ファンは訪れてみると良いでしょう。筆者が発見した「こっそり屋根に上れる階段」もまだ残っているでしょうか(笑)?近くを通るたびにいろんな思い出が湧いてくるそんな場所です。

母校ってなんか良いですよねぇ。

というわけで感慨に浸りながら料理のレシピです!火傷注意!


清炸大腸│山東風豚モツ揚げ

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
山東料理から『清炸大腸│山東風豚モツ揚げ』のレシピを紹介します。豚モツに白ネギを挿し込んでから揚げるという風味豊かな料理です。台湾の熱炒店でも類似の料理が食べられます。

山東地方の名店「濟南館子」に伝わる伝統料理で、料理名は調理方法から名付けられています。中にネギを通さずに作ると『乾炸大腸』という別の料理となります。 「乾炸」は山東料理特有の調理法の一つで、醤油を塗った食材を揚げて「ナツメ色」に仕上げる点に特徴があります。

さて、山東省といえば孔子。いまや世界的に有名な哲学者孔子は紀元前5世紀に山東省で生まれました。当初の思想は「身分制度の確立」と「仁道政治」の二本の柱を元に展開されました。これが後に弟子らによって整理され、「儒教」として確立していきます。その思想は古くから西洋にも伝わり、孔子の名は「Confucius(ケンフューシェスのように発音します)」のようにラテン語化されました。西洋諸国ではどの地方でもほぼこの表記そのまま(言語によってCがKになったりしますが)で孔子を意味します。

老子と並ぶ二大哲学者とされることも多いので、老子と同じようなヒゲを蓄えたニコニコおじいさんのようなイメージがありますが、生前官位を持っていた頃は隣国への武力進行を提案したり、ライバルを暗殺したりとかなりの武闘派です。孔子の思想を学ぶときは周から続く魯国の歴史や政治・国際状況もあわせて覚えておきましょう。

儒教の思想は数千年の長きに渡って中国封建主義の基礎として受け継がれました。主に個人の精神のありかたを定める仏教と異なり、儒教は団体や社会のあり方について厳格に定めています。これにより中国全土で儒教と仏教は対立することなく共存・融合することができました。途中秦の始皇帝による焚書坑儒、毛沢東による文化大革命などにより儒教は大打撃を受けますが、現在までその教えを保っています。

孔子の有名な弟子に性善説の孟子と性悪説の荀子がいます。孔子を師に持つ二人の弟子がこれほどまでに対立した仮説を唱えていることからも分かるように、人間とは元来矛盾をもった非常に相対的な生き物です。どんな人も見方を変えれば善にも悪にもなるのだということを忘れずに。それはもちろん孔子自身についてもそうなのです。


聖心│Sensation、センセーション

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聖心│Sensation、センセーション

1967年及び1970年にアメリカから台湾に試験導入された種のうちのひとつ。アーウィン種よりも遅く結実し、品質も生産量もアーウィン種に劣らないことから商業栽培が始まった。

センセーションの原木は1935年にフロリダで実生苗として生まれた。近年までの数十年、その両親は不明であった。しかし2005年に行われた遺伝子分析の結果、センセーションはおそらくヘイデン(Haden)種及びブルックス(Brooks)種に起源を持つことが確認された。 1941年に初めて実をつけ、1949年にセンセーションと名付けられた。

美しい外観と高い生産性を誇りるが、未成熟果実の大きさが比較的不揃いであるという欠点がある。生産者による広告が功を奏したのか大規模な商業生産がはじまり、アメリカでも人気の種となった。

台湾に導入されて後の1973年から政府の保護を受けて大規模生産が始まった。しかし台湾の気候に合わなかったのか毎年の収穫が安定せず、また後発のその他晩生種に押されて徐々に生産量を減らし現在は台南県楠西郷及び玉井郷でわずか70haの生産面積しかない。

炭疽病に強く露天栽培が可能である。

一般的な旬は7-9月。未成熟の果実は暗緑色~赤紫色で、一ヶ月ほどで完熟し美しい黄色と赤のグラデーションとなる。果皮は薄く、果肉は細かい繊維質で滑らかな食感が特徴である。糖度と酸度のデータはないが実食した感覚ではそれほど高くない。

台湾のスーパーでは一個100-130元(約200元/kg)、市場では更に安い。アーウィン種の旬が終わってから出回るので、8-9月に台湾を訪れた場合でも楽しめるマンゴーである。

外観は明るい赤と黄緑色のグラデーションで非常に美しい。

果肉は薄いオレンジ。クセのないさっぱりとした味わい。


>>マンゴーまとめに戻る

白玉含鈴│白玉含鈴(びゃくぎょくがんれい)

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難易度: 調理時間:3時間
たまには超本格薬膳を作りたい!という筆者のわがままにしばらくお付き合いください。『』のれしぴをしょうかいします。薬膳ですが薬材を使わずに作れば普通のおいしい中華料理になりますのでご心配なく。米粉の生地で具を包んで作る料理です。キャラ弁の素材にも使えそうですね。

今回の薬膳では「五加皮」と「茯苓」という生薬を使います。どちらも薬膳ではよくつかう薬材ですが「茯苓」のほうは『茯苓糕│ぶくりょうケーキ』などで紹介しているので、今回は「五加皮」について簡単に解説したいと思います。

五加皮はウコギ科ウコギ Acanthopanax gracilistylus 及びエゾウコギ A. senticosus の根皮を乾燥させたものです。袪風湿の要薬として様々な処方に配合される他、酒に浸けて「五加皮酒」とし薬用や料理の風味付けに用います。他にも起原となる植物が多数ありますが、今回はそこまで踏み込まないことにしましょう。ちなみにウコギもエゾウコギも日本の山野に普通に生えているので、植物の目利きができる人は山野に分け入って自分で採集して使ってもよいですね。ちゃんと図鑑で調べれば見間違えるような植物ではないですし、毒もありませんが自分で採取して使う場合は自己責任で。

よく知られた薬理作用として抗疲労、免疫増強、抗炎症、血管拡張、抗腫瘍作用などがあり、特に骨折や打撲などの外傷によく使われます。

台湾では『四神湯』の店などに調味料として「五加皮酒」がおかれていることがあります。普通は琥珀色の液体(古いものは黒くなります)がビンに入ってテーブルに無造作に置かれているので、少量をスープに加えて食べてみましょう。独特の香ばしい風味があり食欲が増します。日本でも北陸や東北の一部地域では「五加皮酒」を飲む風習があるところがあります。

袪風湿の生薬として非常に優れた「五加皮」、日本の漢方薬局でも購入できますし、甘口男でも販売しています。

今回紹介する『白玉含鈴│白玉含鈴(びゃくぎょくがんれい)』 はレシピ通り薬膳として作ってもいいですが、薬材を抜いて作っても非常においしいのでぜひ再現にチャレンジしてみて下さい。


新疆風雞排│新彊風フライドチキン

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難易度:☆ 調理時間:3時間
新疆ウイグル地区で食べられる『新疆風雞排│新彊風フライドチキン』のレシピを紹介します。回族の多い地域だけあって孜然(クミン)粉を使ってスパイシーに仕上げます。サツマイモ澱粉で衣を作っているので、味付け以外は台湾で売られているフライドチキンに似ています。

新疆の「疆」の字は境界の境と同じく「境目」の意味を示します。すなわち新彊とは「新しい境目」の意味で、新しく得た中国の辺境地域を指します。もともとこの地域は回族が多く、中国というよりイスラム文化の影響を強く受けていた地域です。古くは「東トルクメニスタン共和国」として独立していたこともあり、近年も独立運動が盛んです。当局に徹底的に握りつぶされているようですけど。

さて、古いMS-IMEで「しんきょう」と入力して出てくる「彊」の字は「強い弓」の意味で、「疆」の字とは別字です。下手すると新聞記事や学者のサイトでも間違っていたりするので、この文章を読んだ方は間違えないようにしましょう。まぁ、筆者もつい最近間違えてましたけど(笑)。

甲骨・金文にまで遡ると彊の字を疆の字の代わりに使っていたことが分かっており、もともと同じ字であったとされています。現代中国では地理や国語の引っ掛け問題としてこの漢字が非常に有名だそうで、よっぽど油断していないと間違えることはありません。しかしもし新彊が独立して別の名前になったりしたら、日常生活でこの漢字を使うことはほとんどなくなってしまうことでしょう。100年以内に絶滅してしまいそうな漢字ではあります。

いつもどおり各国の検索エンジンで調査してみました。
              ○新疆      ×新彊
日本Google  67,900,000件   526,000件
中国百度   51,700,000件   418,000件
台湾Yahoo!  16,200,000件   110,000件

台湾は(Yahoo! 奇摩)あんまり間違えてませんね…。ただ間違えている場所のほとんどが飲食店の看板や旅行会社のパンフレットだったりします。影響は大きくないですが地名こそ命っぽい業界なのであんまり笑えないですね(笑)。日本は個人ブログやレポートでの間違いが目立ちます。中国でも新聞記事やメディアが結構な頻度で間違ってたりとなかなか洒落になりません(笑)。

このブログを読んだ方は間違えないようにしましょう!ただ筆者も油断してると間違えてしまいそうです。今後間違いを発見された方は…筆者のIMEのせいだとご理解ください。

それではレシピいってみましょう。




古早味滷肉│台湾古式豚肉煮込み

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
1980年代の新聞で紹介されていた台湾料理を再現!『古早味滷肉│台湾古式豚肉煮込み』のレシピを紹介します。香辛料を使わずに醤油だけで調理します。当時の市場や弁当店でも人気のメニューだったそうで、現代のものより素朴なお袋の味がします。

70年代の台湾の歴史は以前紹介したことがあるので、今回は80年代の台湾の歴史にスポットを当ててみましょう。今の台湾を動かしている人々の少年時代の台湾はどのようなものだったのでしょうか?皆さんが思っているほど平和な時代でもありませんよ!

まずはきな臭い事件から。1980年、「美麗島事件」の被告として捕らえられていた立法議員林義雄氏の自宅に暴漢が押し入り、彼の母親と二人の女児を殺害するという事件が起きました。奇しくも「二二八事件」と同日の2月28日に起きたこの凄惨な事件は、多くの人が国民党による警告的暗殺であると考えています。警察による懸命の捜査に関わらず、現在に至るまで犯人が捕まっていません。またこの事件に関連したいくつかの修士論文が警察大学の学生によってかかれているので、興味が有る方は参照して見ましょう。林義雄氏はこの事件後も政治活動を続けており、近年は民進党の党首('98-'02)も勤めました。

そして翌年'81年には台湾大学の構内、当時の研究生図書館の脇で、台湾に親族訪問中のカーネギーメロン大学の教授陳文成が死体で発見されました。国民党と政府は自殺であると結論付けましたが、家族や友人らは国民党による謀殺を主張し対立しました。アメリカはこの事件を重大な国際問題とし、調査期間を派遣、陳文成は他殺であると結論付けられました。アメリカは台湾政府に圧力をかけ、海外留学生への監視を解除すること、海外在住台湾人のブラックリストを廃棄することなどを実行させました。度重なる捜査が行われましたが、この事件の犯人もいまだ捕まっていません。陳文成の友人らは彼の死んだ場所(台湾大学構内)に未認可で小さな記念碑を建てていましたが、2015年に大学から正式に設置を許可されました。70年代後半からの一連の事件に関しては2009年の映画「被出賣的台灣(原題:Formosa Betrayed、アメリカ映画)」に詳しいので、興味がある方は見てみましょう。

1984年にはチャイニーズタイペイの名称で国連脱退後初の冬季オリンピック出場を果たします。またこの年各地の炭鉱で大規模な爆発事故が多発し、これを機に台湾の労働者保障問題が表面化、新たな法律が制定されることになります。

1986年に多くの反国民党人員が艋舺龍山寺に集結し戒厳令解除を主張しました。またこの年現在政治的な主流となっている民主進歩党、いわゆる「民進党」が設立されました。さらに交差分子線などの研究によって李遠哲氏が台湾人(生まれは日本統治時代)としては初のノーベル化学賞を受賞(彼の半生に興味があれば以下の記事を読んで見ましょう。http://ci.nii.ac.jp/naid/10011826735 )。台湾に明るい話題が多くなってきます。

1987年、1949年から続いた戒厳令が解除。翌88年に蔣介石の子である中華民国総統、蔣經國が死去しました。国民党主席として一部からは無条件に攻撃される立場ですが、国際的に孤立していた台湾経済を牽引し大発展を遂げたこと、民主政治を実現させるために奮闘していたこと、治安を改善し長年続いていた戒厳令を解除したことなど、多くの評価すべき点があります。なお次代の総統は日本人にもおなじみの「李登輝」氏です。

80年代の台湾は香港、韓国、シンガポールと並び「アジアの四龍」と呼ばれ、大きな経済発展を遂げました。西洋諸国から法、教育、経済などの分野で大きな影響を受けた四国(地域)はWTO、APECなど多くの国際貿易機関に加盟し、目覚しい発展を遂げました。80年代にこれらの地域に遊びに行ったことがある日本人は国の底から湧き上がるような熱気を感じることができたことでしょう。まぁ、90年代にアジア通貨危機によって大打撃を受けるのもこの地域ですけど…。

軍部独裁から民主化、国際的孤立から経済発展。そんな台湾の80年代の労働者の腹を満たしていたのはいつでもおふくろの味。パワー溢れるそんな『古早味滷肉』です。


松仁香菇│松の実とシイタケ煮込み

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
お酒のおつまみにピッタリ!ダシの効いた『松仁香菇│松の実とシイタケ煮込み』のレシピを紹介します。シイタケのダシと醤油が松の実に絡んだ濃い目の味付け料理です。

松の実は台湾や中国では良く食べられる食材の一つで、中国語で「松仁」、「松子」、「松元」などと呼ばれます。その名の通りマツ科の植物の仁、いわゆるマツボックリの中に有る仁を指します。

中国では東北地方や四川、湖北地方のものが有名で台湾でも少量が生産されています。豊富なタンパク質、炭水化物、脂肪を含み、古くから栄養価地の高い食材として珍重されてきました。また元となるマツの種類によって栄養成分の構成、特に脂肪酸の種類がかなり異なることがわかっており、市場には様々な種類の松の実が出回ります。

3000年以上昔から食用また薬用に使われてきたた古い食材のひとつで、現代中医学での性味は温、甘。養陰熄風、潤肺滑腸などの効能があるとされます。近年は豊富に含まれる不飽和脂肪酸が脳の発育に良い影響が有るということで、受験生や老人を中心に増智健脳の保健食品として人気があります。宋代には「長生果」と呼ばれ延命の食材として珍重され、 おなじみ《本草綱目》では"松籽、味甘、性温、无毒。主治骨關節風濕、頭眩,祛風湿、潤五臓、補體虚、滋潤皮膚、久服輕身延年不老。"とも書かれています。古くから健康効果の知られた食材だったようですね。

そして忘れてはいけないのが、その美容効果。過去の中国の王朝では女性たちに皺取り、美肌養顔の食材として人気がありました。松の実を配合した美容食品も多く出回っていますが、最も確実なのは松の実を直接調理して食べてしまうことです。

今回紹介する『松仁香菇』は手軽でおいしいので、ぜひ挑戦してみてください。


新疆大盘雞│新疆風ジャガイモと鶏肉煮込み

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
台風一過、すごい風でした!

新疆ウイグル地域の伝統料理『新疆大盘雞│新疆風ジャガイモと鶏肉煮込み』のレシピを紹介します。素朴な味わいの有るジャガイモと鶏肉を煮込んだ料理で、みりんを加えるだけで和食としても通用しそうです。

新疆ウイグル自治区は中国の最西端に位置する自治区で、数年前に内乱が発生して話題になりました。日本ではニュースになりませんが根深い民族対立が残る地域です。

現在の新疆ウイグル地域は古くからイスラム教徒が住んでおり、16世紀に周辺地域が統一されましたが、17世紀にジュンガルに征服され、このジュンガルが清朝に征服されたことから中国の版図に組み入れられました。しかし1933年と1944年の二度にわたって東トルキスタン共和国を建国し、中国から半ば独立を果たしたものの、国共内戦のドサクサで共産党軍に征服され1955年から現在の自治区となりました。その後も数多くの独立運動が起こっては当局に制圧されるという構図が続いており、沸点ギリギリの緊張が続いています。もともとの住民であるテュルク系の人たちは非常に抑圧された生活を送っているようです。
この地域に大規模な油田、天然ガス田があるのが最大の理由のような気がしないでもありません。数年で大きく政治形態が変わることも予想されるため、こういう不安定な地域の基本情報は頭に入れておきましょう。

さて料理です。この地域は古くからイスラム料理が食べられていましたが、古くから漢人との交流が盛んであったため、いわゆる中華料理も現地のイスラム料理を取り入れながら発達してきました。通常ほとんどのイスラム料理では「醤油」を使いません。醸造過程でどうしてもアルコールが発生してしまうのが理由です。今回紹介する『大盘雞』はもともとイスラム料理の流れを汲むのですが、醤油や酒で味付けをするなど、中華料理の影響を受けています。
政治の問題はひとまずおいといて…、この地域の料理も独特でおいしいものが多いので、ぜひ日本で再現して味わってみて下さい。



檸檬香炸牛肉│牛肉の中華風竜田揚げ

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難易度: 調理時間:1時間以内
ピリッとした辛さが効いた『檸檬香炸牛肉│牛肉の中華風竜田揚げ』のレシピを紹介します。スープで煮込んだ牛肉をさくっとした歯ごたえの竜田揚げにして仕上げます。食欲をそそるエスニック系の味付けです。

この料理には日本人にもおなじみのハーブ「レモングラス」を使います。文字通りレモンの香りがするグラス(イネ科植物)で、スーパーの香辛料コーナーでも買える有名なハーブ・香辛料です。正式な中国語名は檸檬草なのですが、台湾の園芸店で「檸檬草ください」というとほぼ間違いなくレモンミントが出てきます。学名は Cymbopogon citratus 、イネ科の植物です。

結構な数の国で医薬品としても使われてきた歴史があり、インドでは興奮剤などとして、タイでは去痰、帯下などに、ブラジルでは抗けいれん、催眠薬などとして使われてきました。日本でも安眠、精神安定のハーブとして有名ですね。

近代薬理研究によるとレモングラスのエッセンシャルオイルは高濃度(10mg/kg)ではベンゾジアゼピン系薬物と同程度の催眠、筋弛緩作用を示すそうです。10mg/kgなんて普通の人がが使うような量ではないので、レモングラス(のオイル)の効果はプラセボによるものが大きいということにいちおうなっています。さて、香りによる催眠作用はさておき、レモングラスは食用にすることで優れた健康効果を発揮します。成分のシトロネロールは強烈な抗酸化、抗真菌、抗免疫作用などを示すことが明らかになっており、安価な健康食品として、また何より安価な抗HIV/AIDSの治療法の一つとして研究者の注目を集めています。

それではさっぱりとした風味のレモングラスを使った『檸檬香炸牛肉│牛肉の中華風竜田揚げ』です。ぜひ調理してみてください。

饢│ナン

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難易度:☆ 調理時間:2時間
シンプル!素朴!カレーの付け合せとしておなじみの『饢│ナン』のレシピです。今回は新彊地区のパン風ナンを再現してみましょう。パンとほぼ同じ材料だけで作れます。

今回紹介する『饢│ナン』は新彊地区の作り方で作ります。オーブンや石釜で焼いて作るので『新疆烤饢』などとも呼ばれます。通常は「饢坑」と呼ばれる特殊な石釜で焼きますが、今回は家で作るためオーブンで焼き上げます。

『ナン』はもともとペルシャ(現在のイラン)出身の料理です。現在世界中に広がるパンの発祥もこの辺りの地域なので、パンとは同じ祖先を持つ料理ということとなります。古代この地域で栽培されていた小麦が世界中に広がっていく過程でパンも一緒に伝わっていきました。

いつごろかは正確にはわかっていませんが、いつからか生地を発酵させたパンが作られるようになり、これがナンの原型となりました。発酵させていない生地を使ったものは『ナン』とは呼ばないので注意しましょう。『ナン』の分布は西はエジプトから南はインド、北はアフガニスタンやタジキスタン、東はウイグルや新彊地域までです。またこれら以外の地域でもインド料理レストランなどで提供されることがあります。

各地域で形状にも特色があるのですが、多くはピザのような円形、またはベーグルのようなドーナッツ型(ただし中央は完全な穴ではありません)で、四角形のもの、ねじったものなど様々です。
我々日本人がよく知る『ナン』はやっぱりインドの三角形を延ばしたような形状のものでしょうか。実はインドの『ナン』は多くの『ナン』の中でもかなり特殊な形状をしており、あの形の『ナン』はインドでしか食べられません。インドでは手でものを食べる習慣があるためあのような独自の形に進化したのだといわれています。なるほど納得です。

オーブンがない場合はフライパンでも作れます。筆者はインドから来た留学生がガスコンロの火に直接生地をかぶせて作っているのを見たことがあります。これが本当の直火、目が点になりました(笑)。

パンと同じように幅広いアレンジが可能な『ナン』、パンよりも短時間で作れるので、カレーを作るときなどに挑戦してみましょう。あ、でも今回の『ナン』は新彊風のものなので、カレーよりは羊肉のスープとかによく合います。

台湾では…確か板橋に新彊のナンを専門で作る店があったはず…。




軟Q牛軋糖│ソフトヌガー、Nougat tendre

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
ヌガー三連発!最後はしっとり柔らかい『軟Q牛軋糖│ソフトヌガー、Nougat tendre』のレシピを紹介します。マシュマロを使って作るので、出来上がりがフンニャリ柔らかく、前回、前々回のものより簡単に作れます。今回はココアで味を付けていますが、いろんな味のものにアレンジが可能です。

今回は中国で発明されたと言われる『牛軋糖』について解説します。前回前々回のヌガーの作り方はこちら

突然ですが(笑)、科挙制度は地方で行われる郷試、中央で行われる会試、宮中で行われる殿試に分けられます。郷試の首席を解元、会試の首席を会元、殿試の首席を状元というのですが、この三つの称号を同時に持つ人を「三元及第」と呼びます。

明代の文人に商輅という人がいます。彼は中国の歴史上14人しかいない(明代には二人しかいない)、三つの試験すべてで首席合格を果たした「三元及第」の一人、中国史上まれに見る天才中の天才でした。

彼は試験が終わった後、学問の神である「文昌帝」の廟に感謝のお参りに行き、その晩ある夢を見ます。その夢で彼は水あめ、ピーナッツ、米などを使って牛の形に成形して作る奇妙なお菓子の作り方を知ることとなりました。彼はすぐに夢で見たお菓子の再現に取りかかりました。夢で見たその形状から『牛軋糖』と呼ぶこととにしたお菓子は、しかし夢で見るのと実際に作ってみるのは大違い。水あめは固まりやすく、上手に牛の形に成形できません。また形を作るのに非常に時間がかかってしまい大量生産が出来ないという欠点がありました。彼は牛の形に成形するのを諦め、長方形のまま売り出すことにし、名前にだけ牛の字を残しました。

この『牛軋糖』を明を訪れていた宣教師がヨーロッパに伝え、「Nogat」と呼ばれる松の実を使ったお菓子がイタリアで生まれることになったといわれています。

『牛軋糖』が中国で生まれたのか西方から伝わったのか未だにはっきりとした結論は出ていませんが、各地のいろんなお菓子がお互いに影響を与え合って現在の形になったのは間違いないようです。

今回の作り方なら家庭でも簡単に作れてしまいます。ぜひ、色々な味のヌガーを作って楽しんでみてください。



巧克力牛軋糖│チョコレートヌガー、Nougat de chocolat

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難易度:☆ 調理時間:1時間以内
前回に引き続き『ヌガー』を作ります。今回は『巧克力牛軋糖│チョコレートヌガー、Nougat de chocolat』のレシピです。前回のが伝統的な製法に倣った基礎編だとすると今回は応用編。チョコレートを加える手間が増えていますが、温度管理が命の料理なので手順を簡略化してよりスピーディーに作れるようになっています。

ヌガーの起源には二種類の説があります。今回はその片方、ヨーロッパで生まれたとされるヌガーの歴史を追いかけて見ましょう。

ヌガー(Nougat)とはフランスの伝統菓子ですが、もちろんフランスにだけ存在するわけではなく、ヨーロッパ全土で親しまれています。ヌガーに関する最も古い記述は10世紀のアラビア語の書籍にあるといわれています。10世紀当時の製法(蜂蜜とラクダの乳を練ってつくるそうです)で作ったヌガーはネイティブヌガーと呼ばれ、現在もトルコやシリアなどで食べられているそうです。アラブ地域で生まれたネイティブヌガーはその後地中海に沿ってアフリカ北部、中東、ヨーロッパ南部に広がっていきました。10世紀から14世紀にかけてエジプトなどを旅した多くのヨーロッパ人旅行者がネイティブヌガーについて記述しています。

各地に伝わったネイティブヌガーはその土地その土地で発展を遂げていくのですが、15世紀のイタリアで現在の形式に近い卵白とナッツ(当時は松の実)を使ったヌガーが誕生しました。もともと結婚式の祝い菓子として開発されたそうですが、すぐに大人気となり、クレモナのヌガーなどと呼ばれて各地に伝わっていきました。この当時のヌガーは現在もイタリア南部に伝わっているそうです。

アーモンドを使った現代とほぼ変わらない形のヌガーが登場するのはこのすぐ後。15世紀にヨーロッパで唯一アーモンドを栽培していたスペインにクレモナのヌガーが伝わると、すぐにアーモンドを使ったヌガーが誕生しました。スペインのアーモンドを使ってクレモナのヌガーを作る製法を記録しフランスにもたらしたのは"あの"ノストラダムス。(ノストラダムスは料理研究家としても有名です)このレシピは健康食品としてフランス各地の薬局に伝えられ、伝統菓子として定着しました。その後多くの料理人の改良を経て現在のヌガーとなるのです。

アラビアのネイティブヌガーからイタリアのクレモナヌガー、プロヴァンスのアーモンドヌガー、そしてフランスのヌガーへ。ヌガーは時代も土地も民族も超えて、およそ1000年もの間多くの人々に愛されてきました。まさかあのノストラダムスがヌガーの歴史に一枚かんでいるとは思いもよりませんでしたね!

恐怖の大王はチョコレートたっぷりのヌガーで撃退してしましょう!次回はまったく別の製法、マシュマロで作る柔らかいヌガーです!

前回のレシピはこちら。使う道具など参考にしてください。


牛軋糖│ヌガー、Nougat

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難易度: 調理時間:1時間以内
最近どうも台湾を訪れる日本人の間でにわかに流行り始めている『牛軋糖│ヌガー、Nougat』のレシピを紹介します。元々はフランス生まれのソフトキャンディで、台湾では『パイナップルケーキ』に並ぶ人気菓子としてにわかに注目を集めています。まぁ、観光業界や雑誌の策略でしょうけど(笑)。

材料は日本のどこでも手に入るものばかりなので、 温度管理さえしっかり出来れば日本の自宅で作るのも難しくありません。しっかりとした温度計と道具を準備して製作してみましょう。

今回から三回連続で色々な『ヌガー』を作ってみます。お楽しみに。

「ヌガー」はもともとフランス語で Nougat と書きます。最後の t はリエゾンする場合にしか読まないのでフランス語での発音も日本語とほとんど変わりません。中国語では「牛軋糖」、アモイ辺りでは「紐結糖」などと呼ばれています。

中国では明の時代から西方から伝わり王宮にも献上されていた由緒ある伝統菓子の一つです。 一説によると逆に明から西洋に伝わったのだとも。


ちなみに台湾ではほとんどの人が「牛軋糖」と書いて Niu "Ga2" Tang と発音しています。「軋」の字は他にも Zha の発音などがあり、人によっては Niu "Zha2" Tang と呼ぶことも。しかし!これらの発音はどちらも間違いで、歴史的には Niu "Ya4" Tang の発音が正しいのです。フランス語の発音と近いので Niu Ga でも良さそうですが、軋の字はもともと「すりつぶす」の意味で使われており、この意味で使うときの発音は Ya4。明の時代に中国に伝わった時点では、確実に Niu "Ya4" Tang の発音が正式でした。


しかし近年「牛軋糖」がにわかに注目を集め、その大本がフランス菓子のヌガーであることが知られると…、ヌガーと発音の近い「Niu "Ga2" 」が一般的になり、いつの間にか定着してしまいました。その内 Niu Ga が完全に正しい読み方になってしまいそうな勢いです。正式には複数の読み方があることはみなさんも頭の片隅においておきましょう。ちなみに古い中国語の辞典ではYa4の発音で紹介されていますが、最近の辞典では「Niu "Ga2"」となっています。台湾教育部の国語辞典でも「Niu "Ga2"」ですね…。

もともと「軋」の字はYa4とZha2とGa2の三種類の発音があったのですが、Zha2の音はほとんどまったく使われないため、台湾教育部の辞書では10数年前に削除されてしまいました。 更にことを面倒くさくしているのはこの教育部発行の国語辞典。なんとフランス語のヌガーを語源とする牛軋糖の読みはもともと Zha2 と発音するのが正式であったそうで、Zha2の読みを削除する時にGa2に合流させることを決定してしまい Niu Ga2 の発音が教育部によって正式に認められてしまったのです。結局どの発音でも正しいことになってしまいますが、ここは"長いものには巻かれろ"の精神でNiugatangと発音しておくのが間違いなさそうです。『牛軋糖』の発音に関しては次回以降のコラムでまた取り上げます。

さて、台湾で食べられる『ヌガー』はほとんどがメレンゲを使った軽い食感の白っぽい『ヌガー』(フランス語ではNougat de Montélimar│ヌガー・ド・モンテリマール)です。今回のレシピもこちらを作ります。

いくつか道具を用意する必要がありますが、慣れると色々な『ヌガー』を自作できるので、この機会にそろえておいてもよいでしょう。高価な道具も必要ありませんしね!

それでは第一弾『牛軋糖│ヌガー、Nougat』のレシピです。温度管理が命!


莎莎拌雞絲│鶏むね肉のサルサソース和え

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難易度:☆ 調理時間:30分以内
サルサソースで仕上げる『』のレシピを紹介します。蒸して柔らか目に火を通した鶏肉を裂き、サルサソースをまぶして作ります。食欲のないときはこういったさっぱりした料理がいいですね。今回の料理は完全に西洋料理です。中華料理の要素は皆無ですので悪しからず(笑)。

料理名の「莎莎」とはサルサ、正式には「莎莎醤」でサルサソースの意味になります。スペインやラテンアメリカで使われる水分の多い調味料を指す言葉で、いろいろな種類があります。この料理で使うのは正確には「サルサ・クルダ│Salsa cruda(生サルサ)」と呼ばれるもので、トマト、タマネギ、トウガラシと香菜(コリアンダーの葉)を使って作るサルサソースです。

サルサソースは伝統的に石臼で材料をひいて作りますが、現代ではもちろん簡単のためにミキサーで作ります。ただ今回の料理で使うサルサ・クルダは野菜を粗くみじん切りにした状態でそのままソースに入れて作るのでミキサーは必要ありません。

サルサ(Salsa)とはもともと「塩」の意味で、英語のサラダ(Salad)、ソルト(Salt)、サラリー(Salary)と同じ語源を持ちます。野菜に塩をまぶすと水が抜けるので、それを調味料として用いたのが始まりのようです。

(ラテン)アメリカ旅行時にはぜひ現地のサルサソースで作った料理を楽しみたいところですが、一つ注意が必要です。2002年にテキサスヒューストン大学によって行われた研究によると、アメリカで提供される(生の)サルサソースの約2/3は"大腸菌で汚染されている"そうです。日本で作る場合も、作ったらすぐに消費してしまうのを心がけましょう。特に夏場は要注意ですね。

他の料理にも言えますが、この季節食中毒にはくれぐれも気をつけて!



檸檬炒苦瓜│ゴーヤのレモン汁炒め

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難易度:☆ 調理時間:一瞬
さっぱりとした酸味の利いた『檸檬炒苦瓜│ゴーヤのレモン汁炒め』のレシピを紹介します。ゴーヤのほど良い苦味と甘味、レモンの酸味、そして少量のトウガラシの辛味を組み合わせて炒めた料理で、見た目も鮮やか!食欲をそそります。

レモンに関する簡単なうんちくはたいがい語りつくしてしまった感があるので、今回は栽培レモンの一品種である「エウレカ」について中国語と絡めて解説したいと思います。

某超有名アニメーションのタイトルにも使われている「エウレカ」という言葉は、中国語で「尤力克」と表記します。ご存知アルキメデスがアルキメデスの原理を見つけたときに叫んだ言葉で、「見つけたぞ!」くらいの意味の単語です。アルキメデス当時の古代ギリシャ語では εὕρηκα と表記し、ヘウーレカのように発音したそうです。

アルキメデスは中国語で阿基米德と表記します。よく知られるアルキメデスの原理は「阿基米德浮體原理」などと呼び、日本語と違って発見者の名前と原理、公理、定理などの間に、日本語の"の"を意味する「的」や「之」などは入りません。日本人は日本語の感覚でつい「阿基米德"的"浮體原理」のように言ってしまいますが、台湾人からしたら「超奇妙な感じになる」そうなので気をつけましょう(笑)。英語でもこういう定理などは発見者の名前の後に 's が入ります。筆者も大学院時代のプレゼンで同級生から指摘されて始めて気づきました。懐かしい思い出ですねぇ。

もし台湾や中国で大学や大学院に通う予定がある人は覚えて起きましょう。数学や物理の時間に同級生から笑われずに済みますよ(笑)。そしてなるほど!と思った方は、今から(裸で)外に飛び出して「エウレカ!」 と叫びましょう。

それではレシピです!


 
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