東安雞、東安子雞│鶏肉の東安炒め

東安雞、東安子雞│鶏の東安炒め

当ブログでもひそかにファンの多い湖南料理。『左公雞』や『生菜蝦鬆』など、御飯のおかずにぴったりの料理が多いので、晩御飯を作るときに参考にされている方が多いようです。本日はそんな湖南料理から『東安雞、東安子雞│鶏肉の東安炒め』という料理を紹介します。

名前が二つありますが、「子」が付く方は若鶏を使うことを強調しているだけで、調理方法は変わりません。若鶏を使って作るというのが料理の由来にもなっているのですが、もちろん普通の鶏肉を使って作ってもまったくかまいません。

東安とは湖南省にある土地の名前(現在の湖南省永州市東安県)で、この料理はこの地域の郷土料理だと言われています。酢と唐辛子を使った酸っぱ辛いソースに揚げた鶏肉を絡めて作ります。

元をたどるとその歴史は非常に古く、もとは結婚や就任時の宴会の席で食べられていた料理です。元となるレシピは唐代(遣唐使の時代です)玄宗皇帝の時代のレシピ本に既に記載されており、今に至るまで少なくとも1200年以上の歴史があります。元となる料理の伝説は更にそれ以前に遡りますので、とにかく非常に長い歴史を持つ料理というのは疑いようもありません。

歴史が長いので料理名もいくつか変遷をたどっており、それぞれに伝説が附されているのが面白いところです。簡単に紹介します。

まずは西晋時代、この料理は『陳醋雞』と呼ばれていました。なんと時代は西暦290年、とある県令が慶典の儀を行うため、各地の長を集めそれぞれの土地の料理人を連れて越させました。 当時の習慣では正式なコース料理の五番目には必ず鶏肉料理を出すことになっていたのですが、その時の鶏肉料理はなぜか酸っぱく、おかげで料理を食べた客たちは食がどんどん進みました。食後にホストである県令は料理人を呼び「なぜあの鶏料理は酸っぱかったのか?」と問います。料理人は跪いて「申し訳ありません、急いでいたもので、お酒と間違えて陳醋(黒酢の一種)に漬けてしまいました。酸味を抑えるため、すぐに花椒と生姜を加えたのですが…、酢の味が消えなかったようです。どうかお許しください」と答えました。県令は笑って、「頭を上げよ。客は皆あの料理が旨かったと言っていた、おまえを呼んだのは褒美を取らすためだ」と答えました。それからこの料理を『陳醋雞』と呼ぶようになり、民間に広まっていった、という話。

唐代よりさらに遡って西晋の伝説とは…はるか遠い昔のお話です。

ずずっと時代は下がって清朝末期(1870年頃)、この料理は『官保雞』と呼ばれることになります。太平天国の乱を鎮圧した湖南の席寶田は晩年郷里に戻り有名な将軍たちを呼び宴を開催します。この席には『左公雞(左宗棠雞)』の由来になった「左宗棠」も参加しています。酒席には『陳醋雞』も登場するのですが、料理人はうま味を増すため、これに更に豆腐乳を加えて作ります。この料理は来賓に非常に好評を博し、左宗棠は席寶田に料理名を尋ねます。席寶田は『陳醋雞』ではあまりに田舎っぽいと思い他の料理名を考えていた時、同席していた曾國藩が「これは席官保家の特別料理ではないか、『官保雞』と呼んではどうか?」と提案します。左宗棠は「うむ!名将の家から出た名品『官保雞』、良い名ではないか!」と納得します。その後料理は宮廷で紹介されるまでになり、有名になりました。

ちなみにここで登場する曾國藩は、ここで登場する左宗棠やあの李鴻章の師と呼べる人です。

更に時は下って近代1926年、国民党の軍人唐生智は第一次北伐後、南京に住居を構え勝利を祝います。部下や同僚を招き料理人に『官保雞』を作らせます。専属料理人は伍家橋(前出の席寶田の故郷)出身で、料理に更なる工夫を加えていました。鶏肉はまだ卵を産んでいない若鶏を用い、切り分けた鶏肉を並べてもとの一匹の形に戻して提供するという見た目にも美しい料理を作って出しました。食べた人は皆「形が美しい、色も鮮やか、肉も柔らかで、味は爽快、脂が乗ってるのに油っこくなく、どれだけ食べても飽きない、香りは溢れ、栄養豊か、香ばしく、甘み、酸味、辛味、柔らかで、それでいて完全に火が通っている、まさにパーフェクト!」と大絶賛し、唐生智に料理名を尋ねます。唐生智がまさに答えようとしたとき、彼の家庭教師である顧伯敘が「故郷の味、故郷の料理と紹介しろ」と耳打ちします。唐生智は「これはわが故郷東安の特殊な料理で、『東安雞』という」と答えました。以後唐生智は客をもてなす時に必ずこの料理を提供し、『東安雞』は宴会料理として定着しました。

最後のは中国では歴史から抹殺されてそうな故事ですが、調べてみると大陸ではやっぱり別の物語が伝わっていました。

玄宗皇帝の開元年間に湖南は東安県に3人のおばあさんが経営するある料理店がありました。ある晩数人の客が訪ねてきて旨いものを出してくれと注文します。当日の材料は全部使い切ってしまっていたため、その場で鶏を絞め生姜やニンニクで炒め、酢、塩などで味付けして提供しました。客は絶賛してあちこちで宣伝してまわり、時の県令までもがわざわざ店に足を運んでは食べるという有名料理になりました。県令によりこの料理は『東安雞』と名付けられ今に伝わります。

玄宗皇帝時代の書物に記載のある料理のため、最後の故事はどうも眉唾ですが、とにかく非常に古い歴史を持つ料理のようです。

どうやら中国の料理は夜遅くに訪ねてきたお偉いさんが、即席の材料で作った料理を絶賛するという物語が大好きなようです。以前紹介した『左公雞』の故事もそうですね。中国では料理の物語に偉い将軍や軍人が登場します。日本でいう偉い武将さまが鷹や白蛇に導かれて見つけては傷を癒した温泉の物語みたいなものでしょう。

この料理にまつわる故事はたくさんあり、それだけこの料理が多くの人に愛されていることが分かります。実際の料理も講談の内容に劣らず、一度食べると忘れられない美味です。

日本の中華料理店でもなかなか食べることはできないので、夕食のメニューとして提供すると驚かれること間違いなしです。本当においしいので、興味がある方はぜひ挑戦してみましょう。

ちなみにきちんとした日本語で紹介された東安鶏のレシピはこれが初めてかもしれません。茹でた鶏肉を炒める調理法と、生から炒める調理法がありますが、今回は後者を紹介します。作ったらぜひご報告ください。



難易度:
☆☆

調理時間:
1時間以内

材料:
鶏もも肉 ……… 2本
ネギ ……… 1本
生姜 ……… 10g
唐辛子 ……… 2本
花椒 ……… 大さじ1/2

調味料1:
醤油 ……… 大さじ1
片栗粉 ……… 大さじ1と1/2
サラダ油 ……… 大さじ1
酒 ……… 大さじ2

調味料2:
醤油 ……… 大さじ2
酒 ……… 大さじ1
酢 ……… 大さじ1
砂糖 ……… 小さじ2
塩 ……… 小さじ1/4
水溶き片栗粉 ……… 大さじ1/2
ごま油 ……… 少々



作り方:
1.鶏肉は骨を抜き、調味料1を混ぜ合わせたものに30分ほど浸けておく。 ネギはぶつ切りにする。生姜、唐辛子は糸状に切っておく。

2.鍋に油を入れ180度まで熱し、作り方1の浸けておいた鶏肉を入れ、揚げて中まで火を通し取り出して油を切っておく。

3.熱した鍋に大さじ2のサラダ油(分量外)を入れ、花椒を色が変わるまで炒める。生姜と唐辛子を加えてサッと炒め、ネギと作り方2で揚げた鶏肉を加え、調味料2をすべて加えてよく混ぜ合わせて完成。


Point:
調味料1のつけダレにオイスターソースや豆腐乳を加えると更においしいです。

故事に忠実に、鶏丸々一匹を切り分けて作ってももちろんOK。若鶏を使えば更に柔らかく作れます。

一緒に炒めるならタケノコやピーマン、豆類などです。

鶏肉は一度揚げて火を通しているので、炒めすぎて身が縮んでしまわないように注意しましょう。最後はネギと調味料と絡めて軽く水気を飛ばすだけでOKです。

干し唐辛子を多めに(10-20gほど)使い、四川風に辛く作るのもアリです。ご飯が進みまくります。

地方のスーパーでは花椒はなかなか見かけませんが、Amazonで買えます。



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